はじめに ── 「正社員になれなかった」世代の話
令和8年、私は50歳になりました。
就職活動をしたのは1990年代後半から2000年代初頭。バブル崩壊の余波が続き、求人票の数が激減していたあの時代。「氷河期世代」と呼ばれる、あの時代です。
正社員の入口が極端に狭く、非正規雇用やアルバイトを転々とした人も少なくありませんでした。あなたの周りにも、そういう経験を持つ同世代がいるのではないでしょうか。私もそのひとりでした。
この記事は、そんな私が37歳で介護職に就き、介護の仕事と出会い直し、社会福祉士という資格を手にするまでの話です。輝かしいキャリアの話ではありません。でも、同じように遠回りをしてきた誰かに、少しだけ届けばと思って書きます。
37歳までの軌跡 ── さまざまな仕事を経て
20代から30代にかけて、私はいろいろな仕事をしました。
業種も職種もさまざまで、「一貫したキャリア」とは程遠い履歴書でした。そのたびに「自分に向いている仕事とは何か」を考え続けていました。でも当時は、その答えが見つからなかった。
氷河期世代の多くがそうであるように、「やりたいことを選ぶ余裕」よりも「食べていくための選択」を積み重ねてきた時間の方が長かった。それが正直なところです。
転機が来たのは、37歳のときでした。
37歳、介護付き有料老人ホームへ
縁あって、介護付き有料老人ホームで働き始めました。
最初から「天職だ」とわかったわけではありません。ただ、利用者と向き合う時間の中で、自分がこれまで経験してきたことが、少しずつ役に立っていると感じる瞬間が繰り返しありました。
工場勤務、派遣社員。「人として見られていない」と感じるほどの疎外感を抱えた時期もありました。人間関係でも、何度も苦労しました。
でも、利用者と向き合う時間の中で、ふと気づいたことがありました。あの疎外感を知っているから、孤立している人の気持ちに近づけるのではないか、と。うまくいかない人間関係の中でもがいてきたから、利用者と家族の間のぎこちなさが、少しわかる気がする。そういう感覚でした。
ケアの現場では、利用者一人ひとりの生活の全体を見る必要があります。身体の状態だけでなく、その人の歴史、好み、家族関係、その日の気分。それらを丁寧に読み取りながら、関わり続ける仕事です。
その「人の全体を見る」という感覚が、私にはとても合っていました。
働きながら、社会福祉士の資格を目指す
介護の仕事を続ける中で、もっと深く人の生活を支えたいという気持ちが育ってきました。
制度のこと、権利のこと、家族との調整のこと。利用者の「困りごと」の背景には、介護技術だけでは届かない部分がある。そう感じるようになったとき、社会福祉士という資格の存在を改めて意識しました。
当時、私は非常勤として働きながら学んでいました。実家の親に生活面でお世話になりながら、勉強を続けることができました。自分一人の力ではなく、いろいろな人や環境のおかげで、続けられた時間だったと思っています。
それでも取得できたのは、仕事で学んだことが、試験の内容と直接つながっていたからだと思います。アセスメントの意味も、社会資源の活用も、権利擁護の考え方も、現場で毎日経験していたことでした。
教科書の言葉が、自分の仕事の言葉として腑に落ちる感覚。それが、学び続ける力になりました。
遠回りは、無駄ではなかった
37歳まで介護の仕事をしていなかったことを、後悔したことがないといえば嘘になります。
もっと早く出会っていれば、と思うこともあります。
でも今は、あの遠回りがあったから、この仕事の深さがわかるとも思っています。
さまざまな職場で出会った人たち、理不尽な経験、うまくいかなかった時間。それらが積み重なって、利用者の話を聞くときの「幅」になっている気がします。
氷河期世代は、望んで遠回りをしたわけではありませんでした。でも、その遠回りの中で身についたものは、確かにあります。
まとめ ── 50歳の今、思うこと
| 年齢 | 出来事 |
|---|---|
| 1990年代後半〜2000年代初頭 | 就職氷河期。さまざまな仕事を経験 |
| 37歳 | 介護付き有料老人ホームに就職 |
| 介護職として働きながら | 社会福祉士の資格を取得 |
| 令和8年・50歳 | ケアマネジャー、成年後見人として活動 |
50歳になった今も、仕事は続いています。ケアマネジャーとして、社会福祉士として、成年後見人として。
同じ氷河期世代で、今も自分の居場所を探している人がいれば、伝えたいことがあります。
遅すぎることは、ない。 そして、遠回りしてきた経験は、この仕事においては強みになる。
介護・福祉の現場は、人生経験の豊かさを必要としている場所です。教科書で学べないことを、あなたはすでに持っているかもしれません。

