あの頃、私は毎朝ユニットの入り口で立ち止まっていました。木の札に「紅梅の村」とだけ書かれた、飾り気のない看板です。廊下には季節ごとに花が活けられていて、春には菜の花、夏には向日葵、秋には竜胆が、さりげなく利用者の方々を迎えていました。
老人ホームの中にあるその小さなユニットが、私の福祉キャリアのすべての出発点です。
「お世話する」という思い込みを、壊してくれた場所
介護の仕事を始めたばかりの頃、私は「高齢者の方を助けなければならない」という気持ちを強く持っていました。今思えば、それは思い込みだったと感じます。
紅梅の村に入居されていたAさんは、要介護5で重度の認知症がありました。言葉でのやり取りはほとんどできませんでしたが、一日中ユニットの中を歩き回り、とにかくよく動く方でした。最初は「どう対応すれば」と戸惑うばかりでしたが、ある日、廊下に飾られた向日葵の前でAさんがふと立ち止まり、そっと花に手を伸ばす場面を目にしました。
言葉はなくても、季節を感じ、美しいものに反応する。その姿は、「介護」を「できないことを補う仕事」だと思っていた私の認識を、静かに揺さぶりました。介護とは何かを、利用者の方から教わる。そのことに気づかせてくれたのが、Aさんとの日々でした。
申し送りノートが、私の「教科書」だった
ユニットには分厚い申し送りノートがありました。前の夜勤者が残した一言一言に、利用者の方の昨夜の様子が書かれていました。「Aさん、夜中に廊下を何度か歩かれた。竜胆の花のそばで立ち止まり、しばらく動かずにいた」。
そのノートを読むたびに、私は利用者の方の「生活史」を少しずつ理解していきました。記録とは、ただの業務書類ではなく、その人の時間の積み重ねなのだと、当時は言葉にできないまま感じていたことを、今は確かに言えます。
ケアマネジャーになってから、アセスメントシートを前にするたびに、あの申し送りノートのことを思い出します。どちらも本質は同じです。「この人は、どんな暮らしをしてきた人なのか」を探ることから、支援は始まります。
ケアマネジャーを目指した理由 ── 「もっと手前から関わりたい」
紅梅の村で3年を過ごした頃、ある出来事がありました。
要支援の認定を受けていたBさんは、身の回りのことはほとんど自分でできる方でした。入居の理由を記録で確認したとき、「子どもたちに迷惑をかけたくない」という一言が書かれていたのを今でも覚えています。ご家族が望んだわけでも、医師に勧められたわけでもなく、Bさん自身が「施設に入ろう」と決めた入居でした。
Bさんはいつも穏やかで、私に気を遣ってくださるような方でした。ただ、談話室で窓の外をじっと見ていることがありました。その背中が何を語っているのかを、当時の私はうまく受け取れなかったと思います。
「この方が施設を選ぶ前に、もっと一緒に考えられる人がいたら、どうだったのだろう」。その問いが、ずっと胸に残りました。
ケアが始まる前の段階から関わりたい。 それがケアマネジャーを目指した理由です。資格取得の勉強中、ケアプランの「本人の意向」欄を書くたびに、Bさんの背中を思い出していました。
3年目の今、感じていること
ケアマネジャーになって3年が経ちました。担当する利用者の方は少しずつ増え、サービス担当者会議の進行にも慣れてきました。でも、慣れることへの怖さも同時にあります。
アセスメントの記録を書いていると、ときどき手が止まります。「この一文で、この方の暮らしを本当に表せているか」と。介護職だった頃に感じていた、あの緊張感を忘れたくないと思うのです。
紅梅の村で申し送りノートを読んでいた新人の自分が、今の自分を見たら何と言うでしょうか。「ちゃんとその人のことを見てる?」。そう問われる気がして、背筋が伸びます。
この仕事を選んでよかったと思える瞬間
先月、担当している方の娘さんから電話をいただきました。「母が、ケアマネジャーさんに会えるのを楽しみにしているんです」と。
ケアプランの目標達成よりも、モニタリングの数値よりも、その一言がいちばん胸に響きました。
介護の仕事は、成果が数字に出にくい仕事です。でも、誰かの「今日」に関わり続けることができる。これほど地に足のついた仕事を、私は他に知りません。
紅梅の村の木の札をくぐっていた頃から、私はずっと、同じことをしようとしているのだと思います。目の前の人の暮らしを、その人の言葉で理解しようとすること。それが、私にとっての「介護」です。
ケアマネジャー3年目。紅梅の村出身。
